先輩経営者からのメッセージ

東京都の先輩経営者

須賀 光一

人生観を変える手伝いを

オーナー須賀 光一洋食(1986年創業)

いまでこそ老舗洋食店と呼ばれる黒船亭だが、老舗にも開業当初の苦い思い出はある。

一般的に洋食店のオーナーと言えば料理人のイメージが強いが、その点で言えば
須賀氏は異色の経歴の持ち主だ。
建築会社の企画職として働き、その後はアパレル業界に十数年身を置いた。

そんな須賀氏が黒船亭を始めたきっかけは、父親のこんな一言だった。

「このフロアで儲かる商売をしてみろ」

父は元々フランス料理店を経営しており赤字に転落していた。
洋食という新しい形と空中階での飲食店開業に、銀行から良い顔はされなかった。

そして開業後、案の定と言わんばかりにお客様はゼロに近い状態。

仲間は心配して「1階のショーケースには食品サンプルを置くべき」
「お店に自分の趣味のもの置くから…」など様々な厳しい意見が思いやりの言葉として飛び交った。

挙句の果てにお店の料理人からも「社長、お客がいないじゃないか!」と営業中に
客席に聞こえるように言われたこともあった。

それでも須賀氏は自分の信念を曲げなかった。
「これで良い。周りの声に流されず、自分はマーケットを信じる。」

若い女性が行きたくない店。それを無くせば良い店になる。
そんなお店をアパレルで培った経験で感覚的にわかっていた。

とはいえ半年もこの状況が続いた時、さすがの須賀氏も考えを見直すべきかと悩んだという。

そんな時、昔からの仲間がこんなことを言ってくれた。
「お前は耳が悪いのか?俺には聞こえるぞ。すぐドアの外まで近づいている
お客様の足音が。お前がやるべきことは一つ。人を増やしてピカピカに店を磨け。」

売上が立たず、普通なら人件費の見直しも迫られるような状況下でまさかのアドバイスだった。

このまま信念を貫き、お客様を迎える準備をしろというアドバイスに背中を押され、
そして次第に店は軌道に乗っていった。

あれから数十年経った今でも、須賀氏は清掃に余念がない。

「トイレ無臭化作戦」と銘打ち、トイレの床から天井までナノコーティングを
取り入れているという。

そんな須賀氏だが、苦労はここで終わらない。

黒船亭が軌道に乗った一方で、辛い出来事も起こった。
毎月多額の赤字を抱えるプロジェクトがあったのだ。

最悪の事態を考えたとき、死んだつもりで働こうとがむしゃらに働いた。
そのがむしゃらという想いが赤字を解消した。

繁盛店となった今、須賀氏は黒船亭で独立支援を行っている。
その支援の内容は主に”気づきを与える”こと。

料理の技術や経理は教えることが出来ても、それ以上のことは
自分で気づかないと信念は形成されない。

信念がない店にはお客様は来ない。逆に言えば、強い想いや信念があれば
お客様が寄ってくるお店になると。

須賀氏が独立支援を通してここまで真摯に向き合うには理由がある。

「苦労が人を成長させることは確かだが、自分のような辛い経験は若い人には
させたくない。だから自分は気づきを伝えたい。
せめて自分がした苦労の中で気づいたことを、若い人に伝えたい。」

このように語る姿は、どこか父親のような兄貴分のような印象を受けた。

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